私はどうも科学的なこと、科学的な判断が好きなくせに、モノに精神を感じるところがある。
西洋的なモノはモノ、たとえ人間でも死体になればそれはモノ…とはどうしても考えられず、思わずそのモノに語りかけたりするのだ。
初めて買った車を手放すとき、まるで恋人同士のようにふたりで(<この表現自体がまともでない)夜のドライブをしたっけ。
新しいパソコンを導入すべくカタログを見ていると、急に今使っているパソコンが調子悪くなったりして。ごめんごめんお前のことを嫌になったわけじゃないんだよ、と話かけ。<もう常識的に尋常ではない応対。
パーツフィーダーのワークがうまく流れないとき、私はそのパーツの気持ちになってどういう風に流れていくのか想像しながら、改良していく。その話をヨメさんにしたら笑われたっけ。
ま、そんなこんなでかぐやが仕事を終え殉職するのに一抹の寂しさを覚えるのだ。
それでもまだ死体は月に留まっているからいいのかもしれない。探査機によっては地球に電波を送りながら、永遠の果てに旅立つものもあるからだ。
その果てしない永遠の旅立ち。二度と故郷へは帰れない一方向の飛翔。想像するだけで涙がこみ上げてこないか。<え、別に?あ、そうですか。どうもすみません。